葬式もお墓も新仕様にしないかい

   

葬式は500万あればできる?

「葬式出すのはこれぐらい有ったら足りよるかいな」と親戚のおばあちゃんが片手を広げた。

いやいや、そんな豪華なお葬式、できないことはないけど、もったいない、生きてる間に使ってください。

使い切れなければ貰ってあげるから\(^_^;;)

でも、自分の死んだときのお金まで、ギリギリの老後に考えておかないといけないシステムってなんかおかしくない?

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SunnySide
「家」の時代の産物が「個」の時代に、

価値観の多様化してきている今の時代に、

昔ながらの葬送のシステムだけでいいのだろうかと思う。

葬祭は人生の中で必要以上の費用がかかる?

そう思うことがあったとしても決してケチったり、故人を軽く見ているわけではない。

故人は常に自分の心と共にあるので、社会的立場のある場合などはともかく、外観や見栄えの必要姓を感じない場合は最小限でいい思う。

派手な祭壇でも大勢に見送ってもらいたいなら、そうすればいいのだけれど、私的には、別れを惜しむ人が来てくれればそれでいい。

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伝統に従う葬儀も悪くはない。

しかし、時に戒名お布施不明瞭で、お車代お膳料が出てきた日にはなんでやねんと思ってしまう。

必ずしもお寺が悪いわけではないのだが、昔ながらの慣習が今の社会と絡まって不明瞭になっている。

金額が決まっていないということは、確固たる意思がない場合、平均を上回ると想像する金額になりがち。

それを、アドバイスする方が複数いれば、大抵は大目の額になってしまうようです。

突然のことにばたばたしているうちに、大抵は葬儀場の営業目標に近い規模になるようです。

お墓は誰のために

また、お墓に関しても現代の事情にマッチしないことが増えてきている。

空き家が激増しているこの時代、管理者に連絡がつかないお墓も増えてきて当然。

そこまではいかなくとも、居住地とお墓が離れてしまい、かつ高齢者ばかりになると、墓参りもままならない。

墓じまいをしようとしても相当の費用が掛かる。これもお寺の胸先三寸で、とんでもない費用を言い渡されたケースさえ聞いたことがある。

山の上にお墓があった私の従妹も、墓参りが大変なためと、住まいが関東、近畿に分散しているため納骨堂形式のお墓に移転しました。

個人的には、お墓など入らなくてもいいと思っている方は相当数いるのではないのだろうか。

千の風に乗ってばら撒かれたら私は満足である。

あのじめじめとしていそうな墓石の下に入れられる方が余程だ。

自由な葬送へ

今はまだ、人が亡くなったら墓地に埋葬するという時代に作られ施行された法律が効力を保っていて、原則的には自由な埋葬は許されていない

住宅事情はじめ、文化や価値観が大きく変動している今の社会では、もっと多様な葬送のあり方を認め、従来の固定観念を見直さなければならなくなっている。

あんなでかい、家の模倣品としての墓を建てるのは、デジタル化かつダウンサイジング傾向の今の時代にミスマッチだ。

そもそも、八百万の神と生きてきた日本人には固定のお墓は要らなかったのじゃないのか。

そろそろ、制度に多様性を認めてもいい時代じゃないのかと思う。

ただ、そのためには新しいルールも必要だ。

自由に散骨といっても、そのまんまの形でどこに撒いても良いというものではないだろう。

今でも、一定の制限内なら散骨も許されているようだが、散骨は埋葬とは認められていない

スマホサイズにセラミック化して、持ち歩きできるお墓に埋葬できるシステムの方が今の個人の時代によほど、適合していて脱形骸を図れる。

外部の世界に制限が多くなればなるほど心の内に祭壇なりを具えている人も増えているのでは、と思う。

葬送はムラの行事から個の思い重視の制度に移行すべきである。

 

 

 

新しい葬送の前段階として、外形としての葬儀は、このような明朗会計葬儀で事務的に済ませて、故人を慕う手段は個々でじっくり工夫すればいいだろう。私も早く知っていればこういうところを利用したのだが・・↓。


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