孤独に陥らない為もっと意図的に人に向き合う必要性
人恋しい年頃
人と楽しく雑談をする機会がめっきり減った。
気のおけない人とどうでもいいことをしゃべり倒す時間も減った。
代わり映えのしないメンバーで、いつも社長のワンパターンの独演会になってしまう会社の飲み会は、再雇用の立場で行っても楽しくはない。
そもそも、自分も含め周囲には、お酒を制限せざるを得なくなってきた人ばかりになってきたため飲み歩く機会が激減している。
退職して仕事にも行かなくなった日には、こんな状態が、もっと増幅されるのだろうなと思うと、いまから何とかしなければいけないとあせりを感じてしまう。
そんな事が続くせいか、言語能力も怪しくなって、言葉が出てこなくなることも多くなってしまった。
これは楽しくない。
楽しくないし、どういう関係であれ、人と接しないことには世間も広がらない。
これはお金を多少使ってでも、人と接する機会を作らないといけないと本気で思う。
男だけだと弾まない
畑でもそういう機会はあるのだが、男だけだとどうも野菜がどうのと言う話がポツリポツリとしか進まない。
奥方が一人でも加わればけっこう話が発展するのだが男だけだとホント、無展開で終わることが多い。
これは、私がそのおっちゃんたちの中でブレークスルーになるべく頑張らないといけないなと実感。
癒される
そんな事を考えていたところ、今日、突然3時間ぐらいしゃべりまくる時間が作れた。
一人は往きの電車のホームで偶然に会った。
同じ路線を利用していたことは知っていたが、もう何年も途上では会った事がなかった人に会った。
ちょうど渡すべきものもあったのだ。
必要のある偶然(共時性)が起きるということは何か良い流れになっているような気がする。
幸先がいいと喜んでみる。
彼女とは目的地まで1時間とちょっと話し込んだ。
帰りには同世代のT女史、I女史とサイゼリアで1時間半ほど、おおいに笑わせてもらった。
合計3時間弱、衰えていた口角筋に刺激を与えることができ、気持ちもすっかり落ち着いた。
何でもいいから、誰とでもいいから語り合うことで解決に向うこともある。
本気で、人と話をする仕事がいいなと思うこの頃です。