ワイルドバンチ・1969・サムペキンパー
DVDを引っ張り出して観た。
サムペキンパー監督の「ワイルド・バンチ」
1969年度のアカデミー賞で作曲賞と脚本賞にノミネートされたが、受賞には至らなかった作品だ。
久しぶりに見たけどやはり素晴らしい。
DVDは持っているのだがそろそろBDに手を出そうか。
そもそもブルーレイ出ているのだろうか?
なぜいまどき「ワイルドバンチ」。
私の中では「ゴッドファーザー3部作」「アラビアのロレンス」と並ぶ、永久不滅の名作なのだ。
ラストシーンの6台ので撮影されたという4人対200の壮絶な銃撃戦ばかりがあまりにも有名だ。
しかし、際物的な視点ではない正統な映画表現を語る上でも忘れることはできない作品なのである。
シーンの各所にまるで黒澤映画のような静と動の対比がちりばめられ、画面の緊張を極限まで高め、あるいは微細な情動が流れていく。
バイオレンス・アクション映画の鬼才と言われるサム・ペキンパー監督。
その世界は、帰る場所を無くした男たちが、帰る家を探して彷徨う男のおとぎ話である。
しょぼくれた男たちには、もはや帰れる家などない。
唯一の安らげる場所は「死」、タナトスに向うしかないのである。
脂ぎった生命を噴出しながら、ひたすら死へ突き進む男たちの世界である。
そこでは死は、それほど異質なものではない。
誇りや約束のためだったら、散歩に出かける感覚で向こうへ渡ってしまいかねない男たちの世界。
最後に残された仲間への義を貫くため、ウィリアム・ホールデン、アーネスト・ボーグナイン、ウォーレン・オーツとベン・ジョンソンが銃を腕に抱え、死へと歩き出すシーンは身震いするほどかっこいい。
絶望的な状況であるにもかかわらず、それほどの悲壮感はない。
映画史に残る名場面だが、これは馬に乗って銀行襲撃へと向かう、オープニングのシーンと結びつく。
まだ、覚悟はないがそれは最後のシーンへと続く道行の始まりだったのだ。
このオープニングがまた秀逸である。
騎兵隊姿で襲撃に向うパイクたち。
楽しそうにたむろす子供たち、けど彼らの喜びと好奇心はサソリを蟻の群れの中に入れてなぶり殺す事なのである。
最後には蟻の群れの上に火をつける。
広場での善良な市民の集会。
行進。
待ち受ける鉄道会社に雇われたソーントン達。
そのカットバックが盛り上げる緊張感。
そして市民も巻き込んだ阿鼻叫喚の襲撃シーン。
ここでも細かいカット割りとスローモーションでシーンが積み上げられていく。
追う側も逃げる側もまともな人間ではなく、パイクと追うソーントンはかつての仲間でもあり、そんな連中の逃走劇、追跡劇に、これも夜盗と変わらないメキシコ政府軍のマパッチ将軍が入り混じり話は進む。
ソーントン達が逃げ込んだのは、仲間のメキシコ人青年エンジェルの故郷の村である。
そこでの彼ら(女をマパッチに奪われたエンジェル以外)の顔は安らぎに満ちていた。
まるで、その村が天国であるかのような美しい映像と笑顔とメキシコ民謡で奏でられる。
そしてみんなに名残を惜しまれ村を出立する。
この村のシーンもまた素晴らしい。
しかし、彼らが身を滅ぼすきっかけとなるのもこのエンジェルがきっかけであり、マパッチ将軍に雇われたここの村人の親類達との銃撃戦により血の海に沈む事になるのである。
今度は、追跡者ソーントンの裏をかきつつ、マパッチ将軍の依頼でアメリカ軍から武器弾薬を、銃撃戦なくスマートに奪い取り、マパッチに引き渡していくのだが、エンジェルが反政府軍にその武器弾薬の一部を渡したことが発覚し、マパッチに捕らわれることになる。
そして破滅へと向う
そこから、彼を救出するべく4人の殴り込みが始まるのだ。
エンジェルがマパッチに喉を切られた瞬間、4人は反射的にマパッチと取りまきを撃ち殺す。
一瞬全員が凍りつき、4人が顔を見合す。
笑い出すダッチ、そしてパイクたち。
ドイツ人の顧問をパイクが射殺して、女子供を巻き込んだ阿鼻叫喚が始まる。
そしてすべてが終わり静まり返る街の外に一人座り込む追っ手であったソーントン。
そこへエンジェルのかつての仲間たちとやってきた最年長の仲間フレディ(エドモンドオブライエン)ソーントンに声をかける「昔みたいにはいかないが、また一緒にやらないか」
笑ってゆっくりとたちあがるソーントン。
良いんだなぁロバートライアン!
ゴーチ兄弟には厄介者扱いされそうになっていたしょぼくれたフレディが、一番最後に最高の笑顔で締めてくれた。
さすが名優、エドモンドオブライエン。
銀行襲撃が失敗したときベンジョンソンに、「こんなじじいがいたら殺される!追っ払ってしまえ」
と邪険にされるが、パイクは、
それが出来ないやつはケダモノと同じだ。終わりだ!
そして俺たちも全部しまいになるのだ。」
と決してフレディを切り捨てようとはしなかった。
みんなろくでもない連中で、誰一人誉められた人間は居ないのだが、自分の守るべきルールだけは見失うことなく生きている。
そして、はみ出してもはみ出しても枯れ尽くすことなく前へ進むエネルギー。
すっかり駄目になってしまっても打ちひしがれている場合じゃないのである。
映画公開の当時、彼らの思い、行動に痺れた私が、彼らの年になり、或いは越えた今もそうしたココロを失いたくはない。
身体は多少は老いて、多少は行動範囲が狭くなってはしまったが、少なくとも気持ちは昔と同様にアクティブであると信じたい。
行動力も年齢を重ねた分よく動けるようになっているのだろうか。
割と身近にやってきた死を恐れ、意識しながら生きるなんてまっぴらだ。
その日が来るまで自分のルールを信じて、ただ前を向いて生きるのみ。
※ちなみにこの映画は同時期に公開された「明日に向って撃て」の実在のブッチキャシディとその一団をモデルに作られたというはなしです。