色あせた田舎移住の夢
今となっては田舎は憧れの対象ではなくなっています
今となっては田舎暮らしは、自分にとってそれほど魅力的なものではなくなっている。
週末通いを始めた頃は、将来は自然豊かな田舎に移住したいという憧れが強かった。
しかし今は、田舎住まいを検討することはあっても、それはあくまでも手段であって願望ではない。
それと、実の故郷に帰るのが良いのではという迷いも未だにくすぶっているので、実行は・・・おそらくしないままじゃないかな。
唯一、今でもあこがれる田舎の良い面は「生産と生活が分離せず、仕事と暮らしが一体となっている」という一面です。
普通の人には町の生活は、仕事が細かく分断されていて、暮らしとはまったく別ものになっている面白みに欠ける。
仕事の種類こそ少ないし、報酬も少ないが、することはいっぱいあるのが田舎です。
マンションに慣らされてしまった
さてそれでは、田舎暮らしの私的魅力が薄まった理由とは何か。
その一つは、私たちの健康、気力・体力の衰えが影響しています。
大病院が近くにないと困ったことになる病気にかかったり、大きな治療や入院をしたりした経験から、それが近くに無いことへの怖れが生まれてしまったこと。
鍛えれば鍛えられた身体が、いくら鍛えても直ぐに元に戻ってしまうようになり、肉体的な衰えを実感するようになったこと。
その衰えの不安が気力を生み出さなくなったことなど、が上げられます。
ある程度大きい病院、信頼の出来る総合病院が近くにないと不安だったり、住まいの快適さが優先事項になることがここ数年増えてきています。
例えば今住んでいるマンションは、真夏の昼間でも開放していればエアコン無しで過ごせます。
ひと夏で数時間ぐらいしかエアコンを使用しない快適さから逃れられなくなりました。
体感的な快適さとともに、自然災害の恐れや防犯に対するセキュリティ面でも、現状を下回る環境には抵抗を感じてしまっています。
もはやマンション体質から逃れられなくなっているのかもしれません。
気弱が入り込むとスローライフ精神はバリバリにというわけには行かなくなるようです。
故郷に親兄弟、親戚がいなくなってしまった
もうひとつの「田舎暮らし」に魅力を感じなくなった理由。
自分の故郷に、親兄弟、そして昔からの自分を知る叔父、叔母、隣近所の人がいなくなってしまったことも力が抜ける理由となります。
彼らがいたから、彼らに評価してもらうために頑張ってきたという面を否定できません。
いなくなってみると、もうどうでもいいやという気持ちさえ奥のほうにはあるみたいです。
彼らが誉めてくれるから、怒られないようにするために頑張ったという、子供の頃の気持ちのままの部分が心のどこかにあるようです。
昔はその干渉が嫌だったはずの、彼らがいなくなってみると、故郷に帰りたいという思いも半減してしまったのです。
田舎移住に踏み出せない第三の理由
そして関連しますが、もう一つ田舎暮らしに消極的になった理由があります。
故郷もある、通い続けた土地もある。
そして、それ以外の美しい田舎もありますが、そのどれかに決めてしまうことができなくなってしまっています。
今更、見知らぬ土地へ移るモチベーションが持てなくなってしまっています。
10数年通い続けた特定の狭い地域ならまだしも、たとえその土地の近隣であってもそれ以外の土地に移住することは想像しにくくなってしまっています。
ある手段としてある土地の家を借りるのなら良いのだけれど、そこへ定住するというのはもはや意味がわからない。
その土地でなんらかの起業はすることがあっても、移住はもうないかなという感じです。
これまで通ってきた土地ならまぁいいのかなという面もありますが、そうすると、今度はそこに「故郷は放っておいて良いのかな」という、先ほどとは矛盾する疑問がまた浮かび上がってきたりします。
更に、子供たちの問題も浮上して、どうしても決められないどうどうめぐりになってしまいます。
自分たちがたどってきた道を振り返ると、離れて暮らすことの大変な労力が見えてくるだけに、その道を子供たちにたどらせるわけにはいかない。
それは、そうでなくてもややこしい介護や空き家などの問題を、次の世代に分かった上で先送りするという、身勝手な行為になってしまいます。