過度のしたい放題容認とパワハラは表裏一体

   

欲しいものを無制限に与えると

 

人は、欲しいと思うものを何の障害もなく手に入れられる状態を長く続けていると、「ある種の社会性を失ってしまうようです。生来の自制心を保持できていたり、創造力や考察力を一定以上持ち合わせている人間じゃないと、スポイルされる可能性が高くなるみたいです。
最近、芸能ニュースを賑わしている某母子、でき愛息子を頑張ってテレビの人気者にしたとたん、性犯罪で暗転してしまった、もその典型でしょう。自分をコントロールすることよりも、したいことをしたいようにさせることを優先したしつけの当然の結果ですか。

 

 

すべてが手に入らないことを体験する

 

したくてもできない、欲しくても手に入らない、そういう体験を積み重ねて人はこころを強く成長させることが出来る。そして、頑張ったり、代償を払うことによって、願いが叶ったりすることによって、本当の喜びを得ることができるのです。そんな制限を学ぶことがなかった者はこの事件のように、桁の違う代償を払う羽目に陥る・・・。

 

katana

 

責任は与える側にある

 

そのように人がスポイルされてしまうケースにおいては、責任の大半は甘やかす方に有る。その立場とは、親とか上司ですね。先生については、余程酷い場合じゃなければ、まぁ良いでしょう。教育者といってもそこまで責任を負う義務はないでしょうから。その辺りの基本的な資質を身につけさせるのはやはり親です。上司の責任というのはあくまで、その組織の存在に対する責任であって、社会的なものや本人に対する責任は希薄です。

 

 

ジジババは免責

 

祖父、祖母ができ愛するのはどうなんでしょう。祖父、祖母は親の厳しいしつけに対する逃げ場としての立ち位置が一番良いのじゃないでしょうか。だいたい立場的に無責任、親とのバランスが取れていれば直接の責任者じゃないということで免責しておきましょう。子供たちにも甘い愛情の記憶が適度に蓄えられるほうが、情緒の安定にも繋がりそうです。

 



 

スポイラーはパワハラー

 

始末に負えないのは、むやみに甘やかす傾向がある人は、一方でとんでもなく甘やかすかと思えば、それ以外の人間に対しては徹底して厳しく接する傾向があることです。厳しいというよりもパワハラになりがちです。自分の意に沿う人間にはなにもかも許してしまうが、少しでも気に入らない部分のある人間は徹底的に排斥したり、人格否定にまで至ったりする性質があるようなのです。彼らは自分の快適性が基準なので意に沿わないものを認めることが出来ない。後のことも考えようとはしない。

これが会社だと、こんな上司がいる会社や部署は、同調することで好き放題の人間と、前向きに見放して辞めていく人間と、そして、辞められないけどやる気もなくした人間ばかりになって、将来性は望むべくもなくなる。好き放題の人間たちを改めさせることが出来なく、部署を変えられる見込みがないのなら、早めに見切りましょう。

で、今回は何が言いたかったのか?集中にかけるようなのでここらで終了。

 



 

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