「この世界の片隅に」を前知識なく観てしまう

   

映画館

正直、ほんの最近まで、この映画どころか原作の存在も知らなかった。単に、のんこと、能年玲奈ちゃんが頑張っているという噂を聞いて応援しにいこうと思っただけだったのだけど、こんな凄い映画だったとは!

最近シネコンしか行ってなかった私は、上映館がテアトル系だというので少々戸惑う。テアトル梅田って何処だった?

昔はよくこういう映画館へ足を運んでいたのにシネコンが普及しだして以来、行ったことがなかったのじゃないだろうか。切符の買い方も忘れてたような。

直近上映なので、ネットではチケット購入できず、窓口で買います。
テアトル梅田

幅広い層の観客

 

平日の午前中、かつ、公開からもう一ヶ月以上経つというのに、待ち人がいっぱいで驚く。狭いロビーいっぱいに人がたむろし、昭和の映画館を思いだす。

しかも中高年の人が大半です。

アニメだぞ!

能年ちゃんだぞ!

さすが、今どきのシニアたちです

 

 

能年ちゃん

ついでに言うと、自分の本名名乗れないっておかしな話だぁ!

のんは、のんでも良いが、ファンである我々側からは、あくまでも能年玲奈ちゃんと呼ぶことを停止しないでいようと思うのです。

 

 

もっと上映館増やそう

さて、スクリーンは小さめなのだがシートは8割ぐらい埋まっている。いやぁこんなに人気だったんだと改めて驚きます。

この映画についてはあらかじめ入っている情報が殆どなかった。

クラウドファンディングで資金を集めたそうだ。知っておれば賛同したのに残念。

 

 

音楽

まず、オープニングでサトウハチローの「悲しくてやりきれない」。意外な選曲、そしてこれがまた映像にぴったし!

歌、最初は能年ちゃんが歌っているのかと思ったのだけど、コトリンゴ?誰だったっけ、名前、聞いたことあるぞ。

坂本龍一プロデュース?そういえば矢野顕子さんと似てますね。

歌からモノローグへ入るところに違和感が全くなく同じトーン、同じリズムでお話に入っていきます。

 

 

涙腺が弛む理由

今回は、恥ずかしながら、涙があふれて止まりませんでした。

本編が終わってエンドクレジットが始まっても、長いエンドクレジットが終わろうかという頃になっても、涙が止まらない。

もうすぐ明るくなると思うと焦るもいっこうに高ぶりは収まらない、次から次へと湧いて出てくる。

何でこんなに泣けるのか?悲しかったから?スズの境遇を哀れに思ったから?
いや、そんな涙ではない。

 

 

たおやかな日常と細やかな感情を丁寧に

この映画、もちろん戦時広島の話だから、歴史的、残酷な結末が当然にやってくるのだが、そこには声高な主張や、ことさらオーバーに悲しみを表現したり、権力者の罵声などはほとんど描写されない。悪意のある人は1人も描かれない。

戦争が続き、物がなくなってきたり、思想統制もあるのですが、この中で生活する人達にとっては、今私たちが不景気の波を被るのと同様、日常の延長における制限があるばかりです。

すずが入港した戦艦大和の画を描いているところを憲兵に見つかり、スパイの疑いをかけられたときでさえ、最終的には家族の大爆笑で納まり、暗い描写にはならない。

ここでは、戦艦大和や武蔵の雄姿でさえ、日常を彩る背景に過ぎないのです。

 

 

居場所を見失って

映画は広島で育ち、19歳で、いわれるがままに呉に嫁にいった、おっとりとして従順なスズの日常を淡々と描いていきます。
淡々とと言っても、舞台は戦時中の広島と軍港の街、呉です。平凡に終わるわけがありません。

スズ達にはいつもの、そして盤石に思われる生活が続くばかりですが、観ている我々にはどんな悲劇が待ち受けているのだろうと胸を痛くして見るばかりです。

自己主張も少ない、ほんわりしたスズですがそれでも、一生懸命生きることで呉の生活の中での自分の居場所も作り上げていきました。

戦争はスズにとって日常を制限してくるもの、しかしその制限もまた日常の一つに過ぎなかったのです。

8月のあの日、姪の博子と、彼女と繋いだ右手を失い、広島が灰燼に帰し、玉音放送のあった日までは・・・。

 

このとき、スズは呉の家の居場所を見失い、帰る広島の家もなくし、これまで日常を積み重ねてきた価値観さえ180度否定された。

そして、ただ一度激しく慟哭し、怒りを爆発させる。

しかし、それでも命はつながる。生活は続く。

誰もがこの世界の片隅に居場所を持っていることを、大きな喪失の中に見つけたたすずは、がれきの中、同じく居場所をなくした孤児に手をさしのべた。

そして、新らしいより逞しい生活が始まる。

 

この世界の片隅で私を見つけ出してくれてありがとう

 

 

戦前とは今と断絶した別の世界ではない

 

私たちが知る歴史上の太平洋戦争とは、暗い時代であり人々の考えることや、楽しみ、価値観が今とは断絶した時代だと思いこんでしまっている。
あの時代から180度近く転換したのが今の時代だと。

映画や小説をみても、そう描かれているのだから思いこむのもやむを得ない。

あの時代を描こうとするときにまず、あの戦争は、帝国日本は正しかったのか、何が間違っていたのかを描こうとするから、今は違うんだと思ってしまう。

終戦、敗戦で人間も区切りをつけてしまっているから、そうなるのは無理もない。

しかし、そんなはずはない。

あの頃はものが少なかった、テレビもなかった、そして家族のつながりがもっと強かった。

しかし、人々の日常の喜び、悲しみ、苦しみ、希望といったものが変わるはずもない。

どこかに区切り線が引かれているはずもない。

この映画で丁寧に描かれている日常とは、着ている服や持ち物が違っても日々の生活の中で動く、人の心の反応が描かれています。

だから、私たちはすずたちが創られたものではなく、確かに実在したように感じる。

自分の関係者として実際に生きてきた人々であるかのように感じるのです。

すずは、「この世界の片隅に」自分の居場所を求めた。

そして私達観客は彼女たちが、「この世界の片隅に」確かに実存したと感じ、そして自分にも、居場所が今、ここに在ることを確認しなければと感じる。

たとえどんな時代であろうと、どんなに限られた時間しか与えれなくても、そしてどんなに大切なものを失う結果になろうとも、今生きていることよりも価値のあることなんてないのです

生きる勇気をありがとう。
 

P.S.
※今日うっかり、こうの史代さんの原作の下巻をカフェで開いてしまった。1分もたたないうちにうるうる来始めたので、慌てて閉じる。

この世界の片隅に上中下巻

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