遠い故郷にある菩提寺やお墓のこと

   

お墓のことを考える時期は?

まだ少しだけ早い気もしますが、この頃は、お墓のことやお寺さんのこともぼんやりと気になるようになってきました。
ほんと言うと、早いかどうかなんて誰にも分からない。早い気がするというのは平均年齢からするとまだ早いのだろうな、というごまかしに過ぎない。
でもまぁ、終わりを始めたくもないし、死にたくもないから、「早い気もする」と言っておきます。

 

お墓が遠い田舎にある

一つは、自分達が入るお墓が、あの田舎のお墓でいいのか?という事。
自宅から車で片道4時間もかかるようなところ、しかも既に家族はいません。
そんなところにあると、死んだときお墓に入れるのも大変だし、管理もままならない。
そもそも、子供達にも負担になるだけなのです。
かといってこっちに墓を買って、移すなんていうのも大変だ。どれだけ費用がかかることか!
今のところ浮世を生きていく算段で目一杯、いやそれさえままならない状態なのに死んだ後の費用捻出なんてとんでもない。

 

仏像

 

 

世間様の厳しい目

信心深い方々にいわせると、ご先祖様をちゃんと供養できていないと現世はどんどん墜ちるばかり、ということになるらしい。
そもそも、こういうことで悩まないといけないカルマも、日頃の罰当たりな行動の結果だということになる。
そうかも知れませんね。
親兄弟の誰の死に目にも会えていないし、家相は落ちているのかも知れないし。
でもこういう形でしか生きてこれなかったんだし、その結果どうなろうとある部分覚悟もしています。

 

 

許してね、ご先祖様

亡くなった人たち、ご先祖様方達には、私の勝手ですが、やむを得ず自分の心の中に住んでもらうことで、勘弁してもらっています。
まぁ、何かと言いたいこともあるようですが、概ね納得していただいています。
気になるのは、残った人達に 結果として不便やよけいな支出をかけてしまわないかということだけです。

菩提寺も故郷にあると遠い

もう一つの懸念は、似たようなことだけど、お寺さんをどうするかということです。今の菩提寺は知っている範囲では先代から2代お世話になっていて何の不満もありません。しかし、やはり離れていては何かあった時には不便かなという思いがあります。
でも考えたらお墓とお寺を切り離して考えるのも難しそうですね。

 

縛りがきつくない高野山真言宗

菩提寺としてはそのままにしておいて、法要してもらうとか、その辺りだけ別のお寺にしてもらうことが出来るのなら良いのだけどね。
高野山真言宗は、割とおおらからしいのだけど、やはり少し虫が良すぎるような気もする。
気を使ってしまうのも嫌ですしね。

 

弘法大師像

 

すぐ近所に有った

具体的な話ではないけれど、近所に同じ宗派のお寺が無いかなとこのところ漠然と思っていました。
先日たまたま散歩していて、近所の丘の上にあるお寺を尋ねてみたところ、そこは高野山真言宗のお寺でした。
弘法大師さんの像がしっかりと建っていました。引っ越してきた当初行ったことがあるのですがすっかり忘れていました。
実際のところ、お墓やお寺の移し替えなんて多分しないだろうけど、何かあったらこちらででも相談できるなと思うだけで少し安心します。

これからの社会では

人口減少や、人口流出、高齢化などによって、これまでの古い制度が機能し難くなってきています。
そして、今後もそれがますます進むことが予想される今、檀家制度や葬式やお墓の様式も破綻しかけているのは明らかです。
信仰とか、先祖を敬う気持ちは別として、それを容れる入れ物はこの10年、20年で変わらざるを得ないでしょうね。

私は好きにする・・しかない。

今、周りの目を気にして、無理にそうした旧い殻にしがみつくのは得策ではありません。どっちに転ぶか分からないのだから外形的なことは好きにしておく方が良さそうです。その分気持ちだけは誰にも負けないようにすれば良いのでは。

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